広告革新塾−植田正也

革新こそが利益を生む −今こそ変革の断行を−
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その3 「広告の歴史と流れ」  ローマから世界へ そしてロシアへ
 本邦初 モスクワでの広告講演の実録報告(1)−(6)

第五回全ロシア広告販売者会義
講演テーマ 「Future of Advertising」
会場 ホテル・インターコンチネンタル・テュベルスカヤ(モスクワ) 

前回は、「広告とは何か」について話をしたところまで報告しました。
兎に角、そこでも言ったようにロシアでは、広告の歴史が始まったのは、
1991年12月25日、ソ連邦が崩壊したときです。
共産主義からは、広告は決して生まれてこない仕組みであります。
そこから広告を説き起こしてみるのも一つの方法であると考えての話です。

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(2)広告の歴史と流れ ローマから世界へ そしてロシアへ

  これまで「広告とは何か」について話してきました。そしてロシアの広告の歴史の
 創始者は、ミハイエル・ゴルバチョフ大統領ではないかと思うのですが如何でしょうか。
 ベストトロイカ政策が、ロシアの広告の引き金になったのだと思います。

 広告の本質を知るには、その歴史を紐解くのが一番近道だと思います。
 といいますのは、モノの本質に肉薄するには、そのものの歴史を知ることだと
 経験的にそう思っているからです。ここから広告の本質と未来が見えて
 来るはずです。そこで広告の歴史を今一度振り替えて見ましょう。

 ビル・バーンバックが言ったように「広告は、言葉のビジネス」であるとすれば、
 広告とは、マーケティングコミュニケーションの歴史ともいえます。
 広告は、コミュニケーションの一つの形態ですからね。

 最初の広告は、天野祐吉さんの意見だと、ローマ時代に遡るといわれます。
 ローマの娼婦が、自分の宿を知らせるのに絵文字を使って、客を誘ったのが
 広告の最初だったと力説していました。真偽は、ともかく広告的な行為は、昔から
 あったということです。ただ、これを現代の広告といえるかどうかというのは、
 いささか疑問があります。これは、広告の一部である告知レベルではないかと
 思います。これについては、また後ほど話します。

 その後長い間、広告つまり告知は、聖書に始まる宗教の布教、各地の戦争での
 旗や目印、サイン、通告、早馬、ほら貝や世界に広がる商業の看板,包装、袋、
 チラシ、シンボルマークや貿易の屋号の旗、契約書、目印の絵、イラスト、証明書、
 国王の印などの中でいろいろな形をとりながら、告知の方法の発展した仕方で
 使われてきました。

 この間、紙の発明は、大きな役割を果たしています。そして決定的な
 メディアの出現がドイツでの印刷機器の発明です。これはコミュニケーション、
 特に、インフォメーシンの技術を飛躍的に進化、促進させたと思います。

 この間、BC3000年頃から始まり19世紀頃までの年月が流れます。
 この間の広告は、現代の広告とは区別すべき広告の時代かと思われます。

 告知、知らせ、プロパガンダなどのインフォメーションの時代です。
 現代の広告とは、区別すべきだというのが小生の考えです。
 なぜならば、広告は広告主の売り上げ、利益を上げるためのサポート、
 支援をすることであるという前提をかなえていないからです。

 従って、現代広告の始まるのは、厳密に言えば、1908年フォードの
 T型乗用車の新発売からではないかと思います。これはアメリカ資本主義経済が
 本格的に発展、成長していくときとも軌をいつにいたします。

 その後1929年の世界大不況時代を迎え、その後ドイツのナチスが展開した
 プロパガンダはあまりにも有名です。ゲッペルス宣伝相が展開した広報活動は、
 大きな波紋を呼びました。その手法は、今でも形を変えて使われています。
 1945年第二次世界大戦が終わります。これと同時に現代広告の時代が
 本格化します。アメリカでは、ニューヨークはマンハッタンのマデュソンアベニュー街
 という広告のメッカの街が誕生します。ここから世界を席巻する広告の名作が
 作り出されて消費者を魅了します。世界的な広告会社もこの時期、ここから生まれて
 いきます。DDB, オグルビー&メイザー、ペパート・ケーニング・ロイス社、ロイス・
 ホランド・キャラウエイ社など数えたらきりがないくらいです。その親玉見たいな
 人がビル・バーンバックであったり、ジョージ・ロイスであります。

 そこにテレビという20世紀を代表するメディアが誕生します。日本では1953年
 日本テレビという民間放送局が誕生して広告の全盛期を迎えるのです。
 広告といえば、4マスメディア、つまりテレビ、ラジオ、新聞、雑誌のことをさす
 ようになりました。それのトップを切ったのが、電通という広告会社です。
 日本は、エズラ・ボーゲルが言うように世界のナンバー1を謳歌していくのです。
 広告が、この下支さえを確かにしたと思います。広告をそのよくな力を持っています。

 そして1990年、日本はバブル経済が大崩壊します。
 もちろんアメリカの経済も大きな陰りを見せていました。
 成熟化社会の最終系のような状態にアメリカも日本もなっていくのです。
 それは資本主義経済のおわりをつげさえする人も現れる始末です。

 このころ脅威のメディア、インターネットが颯爽と登場します。
 4マスメディアが、広告価値を失い始めるという現象が顕著になります。
 こんな時、1991年、ソ連邦が崩壊し、ロシアが誕生、広告の時代が始まるのです。
 そしてとどめは、リーマンショックです。これを期にG6で広告が終わりを告げます。
 そしてBricsへと広告の舞台が移動し始めます。

 可なり乱暴な広告の歴史の切り方ですが、ここから広告の本質とその未来を
 嗅ぎ取っていただけると幸いに思います。如何でしょうか。
 広告の持つ、光と影、役割と機能が、うかがい知れると思います。
 広告の未来をもです。
 『植田正也)
  
| 広告革新塾−植田正也 | 広告業界の「事情」 | 19:49 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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